記憶は嘘をつく【瀬上一憲】

2024.03/19

水曜日です。

おはようございます。

青森のせのうえかずのりこと「あおのりです。」

 

 

三寒四温の日が続いています。

少しずつ春が近づいてきているのでしょう。

 

 

そんな折り、

立ち寄ったスーパーの店頭に

飾ってあるポスターに目が行きました。

 

 

そのポスター、

今年の十和田市の春まつりの

告知ポスターだったのですが、

その開催期間がなんと4/6~5/6までとなっていました。

 

 

一ヶ月桜が持つわけはないし、

かといって春祭りを一ヶ月も続ける

ノーテンキな暇人ばかりでもないはず。

 

 

果たして毎週のように

何らかのイベントを仕掛ける

取り組みは吉と出るのでしょうか。

 

 

先日、中学校の剣

道部のコーチ時代の教え子と会いました。

 

 

最後の中体連、そのこが勝ちきれば、

こちらに勝ちが転がり込む算段でしたが、

結果はそうならず、その子が号泣していた

姿は昨日の事のように覚えています。

 

 

当然にそのことの話になるのですが、

その子はその試合のことについて自分に

都合のいい部分しか覚えていないことに驚きました。

 

 

県内でも名のしれた相手から

一本を取ったこと(ただし、好機を逃し

結果的に二本取られての負けとなってしまったことは覚えていない)。

 

 

そして、チームの敗戦は

自身の戦いによるところ大であったことも忘れていました。

 

 

記憶というものは、

実はとても曖昧で、自身に都合の良いことばかりで

塗布して塗り固め、都合の悪い部分は忘却してしまうという典型です。

 

 

彼が悪いというのではなく、

殆どの人の記憶は、そうやって形作られているということです。

 

 

歴史も時の権力者によって

都合のいいように切り取られていくといいますが、

人間の脳も都合よく働いているものです。

 

 

その思考は、大体は顕在化することなく

潜在化するのですが、時に気づかない根っこのような存在となり、

その人の引っ掛かりとなったりすることがあるから厄介なものです。

 

 

あえて教え子の潜在意識を

掘り返すようなことをして、消し去ったつもりでいる

記憶を取り戻させるようなことはしませんでしたが、

多分、そういう消し去ったはずの記憶というのは

自分自身にもいくつもあるのだろうと思われます。

 

 

「最近のことはよく忘れるのに、

昔のことはよく覚えている」、のではなく

「自分に都合の良い記憶だけで書き換えられた

昔のことだけはよく覚えている」ということなのでしょう。