効率化が全てか【瀬上一憲】

2022.12/13

水曜日です。

おはようございます。

 

 

青森のせのうえかずのりこと

「あおのりです。」

唐突ですが、時代の流れに

乗り遅れていることは十分承知しているけれど、実は、

「タイパ」という言葉を初めて知りました。

 

 

「タイムパフォーマンス」だそうな。

「時間の概念」がそこまで若い世代では

重要視されているのかと考え直させられた私。

 

 

なにせ、時間を浪費し、

無駄に生きてきたことに

後悔にかけては人語に劣らない

私であるがゆえ。

 

 

だけれど、その実態を知るに、

「それって面白いの?」と聞きたくなる

自分は確実に老人化しているのか(笑)。

 

 

全てを消化しなくても

生きていけるのにと思うのだけれど、

イマドキの世間様はそうでないらしい。

 

 

一例としてあげられていたのは、

テレビドラマは録画。それを「中抜」して

結論だけを見ることで、友人との会話を成立させ、

時流に乗り遅れず、世間との「調和」を保つのだそう。

 

 

巷間盛り上がっている

ワールドカップで言えば、

ダイジェストだけで試合展開には見向きもしないとなるのか。

 

 

結果を知るだけに

価値があるとは到底思えないのだけれど。

 

 

そもそも、興味がわかないものは

「触れない」という選択肢があるはずなのに、

全方位対応が求められるのもおかしな話なのだけれど。

 

 

先日はじめて見えた患者さんと、

つい意気投合して語りあってしまったのが、

「部活のあり方」。

 

 

その方は、教員であられたのだけれど、

「部活が重荷」であると思ったことは

一度も思ったことはないそう。

 

 

「働き方改革」で言えば、

それよりもクレーマーな親や上層部、

教育委員会のほうがはるかに厄介だし、

面倒なのだそう。

 

 

そっちの方をなんとかしてほしいそう。

気持はよく分かる(笑)。

そして、昨今話題となっている、

「部活の地域移行」の話。

 

 

少子化で活動が立ちいかなくなっているのはわかるけれど、

展開が急すぎるのと、それが必ずしも子どもたちのためを

思って進められていないことが問題だと言われていました。

 

 

そこでもキーワードは、

「効率化」。

部活って、非効率の極みのように

言われているけれど、本当にそうなのか。

 

 

そもそもの目的って、

何処にあるのか、あったのか。

 

 

勝つにこしたことはないけれど、

成長過程においてこれからの人生を

生きる糧として存在していたのではないか。

 

 

予算措置も人的配分も十分でない中、

ボランティア精神の名のもとに成り立ってきた

脆弱な活動を変革させるには全てが不足している現在では容易でないそう。

 

 

ことの流れは色々な

「二極化」を更に促進させることとなりそう。

 

 

嫌なことはやらんでもいい、

きついこともしなくてもいい、他の誰かがやるから。

 

 

それで世の中が回っていくのか。

生きていけるのか。

 

 

そして、こんな終わり方をして

このブログは意味があるのか(笑)。

効率的でない世代の悩みは続く。