終活というわけではないけれど【瀬上一憲】

2022.05/17

水曜日です。

おはようございます。

 

 

青森のせのうえかずのりこと「あおのりです。」

私事ではありますが、

この度、実家を整理することとなりまして。

そもそも、このご時世、

田舎の「古民家」とはいえない、

ただの古い家に価値はつきません。

 

 

世にいう「負動産」です。

当然、買い手もなかなか見つけられず、

空き家として10年放置せざるを

得なかったのですが、ようやく

整理できることとなりました。

 

 

ただ、取り壊し・整地する前に

家屋の中にある家財道具一式を

処分する必要に迫られたわけです。

 

 

お金があって、時間が無い人、

そして見られるものが何一つない人ならば、

業者を使うのも一手。

 

 

それでも、約60年間の歴史が

詰め込まれている家というものは、

大多数のガラクタ・ゴミなのですが、

通信簿等見られたくないものや、賞状や

子供の頃のお宝等々も混在していると、

そこは自身と身内で整理するしかなくなります。

 

 

で、整理・通信簿ゴミ出しするのに4日かかりました。

とても子供の頃に思いを馳せつつ、

整理の手が止まる等という

ノスタルジックなことはありません。

 

 

普段慣れない力仕事の成果は、

坐骨神経痛一歩手前の腰痛と、

刺すような左膝の痛みとなって現れ、

更には就寝時の強烈な内転筋の

痙攣でのたうち回ることとなりました。

 

 

日常の仕事で習得したあらゆる

「緩め」テクと温泉でのケアでなんとか

しのぎきりましたが。

 

 

で、今回のことで学んだこと、です。

その時々で必要と思い、買い込んだものであっても、

時間とともに不要になるものがほとんどであるということ。

 

 

そして、それは処分すべき時を

逸してしまうと、ただただ退蔵され、

手がつけられなくなるということ。

 

 

これが節目に引っ越しや片付けをしていれば、

ここまで酷くはならないのでしょうが、

一つ所にすみ続けると、そんな機会はなかなか

訪れることはありません。

 

 

子が家を離れ、開いた部屋には

更にものが詰め込まれるという絵に

書いた悪循環となるだけです。

 

 

「断捨離も程々に」だと思っていましたが、

配偶者や子・孫のことを思うなら、体が動くしかるべき

時期に「終活」しなくてはならないのだということを実感しました。

 

 

生まれてきたときは

身一つだったのですから、

旅立つときもそうでありたいもの。

 

 

そう思い返し、

リーマン時代のスーツ、

ワイシャツ、コートの類たちを

処分することにしました。

 

 

数年前にも一度処分したのですが、

もしかしたらまた着ることがあるかもと思い、

捨てきれなかった一群たちではありました。

 

 

それらは一度も

再登板する機会に恵まれませんでした。

 

 

多分、モノに溢れた世の中というのは、

そういうことの積み上げなのでしょう。