誰が為に【瀬上一憲】

2022.03/08

水曜日です。

おはようございます。

 

 

青森のせのうえかずのりこと「あおのりです。」

「ブースター接種」という言葉には違和感があるけれど、

「追加接種」といわれると、それは一考せねばとなるのは、

日本語独特の言い換えに他ならないと思えてきます。

 

 

諦めのいい我が家の老親は、

今回はパスすると言っていましたが、

接種率向上を目論む市役所からの

接種要請電話に心が動いてしまったりします。

 

 

ただ、患者さんたちを含め、

自分の周りの人達の話を総合すると、

「モ○ルナ」の副反応はかなり酷いように思えます。

 

前日までなんともなかったのに、

接種後高熱にうなされ寝込む、筋肉痛が酷い

(痛いというよりも麻痺のような感じ)、

腕が腫れる、体の怠さが抜けない等々。

 

 

コロナに罹るのも辛いけれど、

ワクチンの接種で体調が悪くなるという話を

よく聞くと、そんなことになる危険性があることを

「承知」して、「自己責任で打つ」というのはどういう

理由によるものなのか。

 

 

更に主流となっている

「尾身クロン株」にはあまり効きそうもないときたら、

どうして接種率が上がるのか。

 

 

積極的に接種しようという気が

起こらないのも当然なのに。

 

 

それでも自分たちのように人と

接する仕事だったり、学校の先生だったりすると、

躊躇うよりも「自分が感染源とならないように、

打たねばならない」と考えるようになります。

 

 

それは自分自身の為というより、

評判だったり、自身が感染源となって

患者さんに迷惑をかけることのないように

したいという思いの方が強いからなのかもしれません。

 

 

そこには選択の余地はありません。

 

 

そして、接種することによるメリットもありません。

接種することでマスク無しでの生活、

コロナ前の生活に戻れることも多分ありません。

 

 

今回、私は打たない派でしたが、

先日ファイザー製のものを追加接種してきました。

 

 

副反応が少なくて、

効果のあるワクチンが

出てくるなら別ですが、多分次回はないと思います。

 

 

接種することは果たして誰が為なのか。

自分の為ではないとすると、

誰のそして、何の為なのでしょうか。