『3・11 を思う』【可愛京子】

2020.03/09


当時、私は2度目の場所で開業したばかり。
元々の顧客もあって、スタートは順調でした。

そんな日々に起こった東日本大震災、
5月の連休明けにはボランティアが足りなくなると聞き
何とか予約を調整し、休院の張り紙をして
寝袋と食料品を背負って釜石へ

到着駅前では自衛隊キャンプが、グレーの山に見えた。
街は電気もなく、足元はガラスが散らばり
広範囲に漂う生臭い空気が、今でも強烈に記憶に残っている。

一般ボランティアとしては、グループで配分された作業
(泥の掻き出し、ゴミ撤去、支援品の仕分けと配給、
地元の人へのお茶だしと傾聴、後には写真洗浄)
午後は施術者として、医師と看護師と共に
避難所での連続マッサージ。

あまりの悲惨さに圧倒され、ひたすら作業に
のめり込む事で自分を保たせる毎日。

全国からシスター達が派遣され、
ボランティアメンバーの食事を作って下さった。
このシスターリレーがなければ、
私達は何も出来なかったと痛感する。

よく年、その翌年と3回連続で釜石に行く度に
街は少しずつ落ち着きを取り戻してきていたが

令和2年の今を迎えても、福島原発の問題、他
まだまだ復興には至っていない現状
加えて新たな台風や大雨、etc…

感じ続ける事は、いわゆる19世期末から
擬似宗教的位置を占めつつあった
科学への信頼が、一挙に失われた事で
精神の危機、絶え間ない深い憂鬱の蔓延

市場経済に踊らされていたとも言える
未来志向に引っ張られてきた社会に
どう平常でいられるか?

ボランティアの日々を彷彿とさせられる

諦念を持って思い返し
今を大切に生きて、
より良い過去を作りつなげる意味を
深めてみましょうか…。