とある宗教のお話【瀬上一憲】

2017.11/08

水曜日です。

おはようございます。

青森のせのうえです。

 

歩きすぎが災いして、右足の親指の爪が、

剥れましたというか、結局、剥がしました。(((^^;)

 

足指の爪って、なんともないときはさして気にも留めないもの。

しかして、トラブルになると、

これがなくてはならないものと気づかされます。

 

まず、しっかり踏み込めない。

 

例えば蹲踞の姿勢をとっても、足指に力が入らないから、

当然の如くぐらつきます。

 

そして、えも言われぬ痛みが足の親指の付け根にずんと響いていましたが、

一週間もすると何とか歩けるレベルに。

 

思うに、自分の歩き方に悪癖があるためと思われますが、

 

当日は、歩き始めから、脹脛の後部、

足裏土ふまずに連なる周辺部位への違和感

、そして前部の脛へと痛みが移り、更に、

親指の付け根あたりの痛みへと広がってきたわけで。

 

これ、筋肉のつながりに関係しますよね、たぶん。

 

これを機に、歩くときの筋肉の使い方をお勉強いたしたく。

 

転んでもただでは起きませんて。(笑)

 

さて、本題。

 

基本、誰がどんな神様、信仰をなさっていようと関係ありません。

 

信仰の自由ですから、どなたも御随意にと、思うのですが、

今回の件は、とある同業の先輩から伺ったお話です。

 

この仕事をしていますと、兎角いろいろ思い悩むこととも多いもの。

 

特に我々のような個人事業主は悩み多きことこの上なし。

 

経営のこと、技術のことその他諸々。

 

悩みとか迷いが生じた時に、光明を見出すが如く、

縋りたくもあり、またお誘いもあるのが、宗教だったりします。

 

その方は、目が不自由で、鍼灸院を経営していたのだけれど、

結婚したくともできない、その心の迷いから知人に勧められ、

○×教を信仰するに至ったのだそうな。

 

そんな先輩に、○×教は、結婚したいのなら、お布施を、と。

信仰が足りないから、結婚できないのだと説かれたと。

 

では、と。

取敢えず、一本(百万)お布施。

 

それでも何も変わらない。

 

もっとお布施を、と。

更に一本(百万)お布施。

 

それでも、身辺に変化なし。

 

信仰心が足りないと、更にお布施を要求され。

更に一本(百万)お布施。

 

それでも何も変わらない。

 

更にお布施の要求は強まったところで、目が覚めたそうな。

 

結婚はお布施の額や、信仰によって叶うものではない、と。

 

その方は、自分が結婚できるに足る魅力を備えるべく、

仕事に専念、精進して、鍼灸院を繁盛させ、

ついには結婚にも至ったのだそうな。

 

結局、高い授業料は払ったものの、

目を覚めさせてくれた当該○×教には感謝していると。

 

世の中にはそういう悟り方もあるのだと感心しましたが、

自分の中に強く芯(信念)を持つことは、大切なのだと得心した次第。

 

 

因みに、その○×教。

 

私も開業間もない頃でしたか、勧誘を受けました。(((^^;)

 

曰く、信仰すれば商売繁盛間違いなし。

ただし、入らんと、商売はおろか人生すべてがうまくいかんようになると。

 

だから、信仰すべし、と。

 

 

そんなことまで言われて誰が入りますかね。┐(‘~`;)┌

 

まぁ、商売大繁盛とまではいかんですけど、

それなりにやらしてもらっていますんで。

 

そんな私ですが、先年母を亡くし、お経ぐらいは、

仏前であげられるようになりたいと経典を買い求め、読経しています。

まだまだへたくそですが。(・e・)

 

信仰はご自由にですが、何もしないで、夢が叶うものではありません。