自分は何を成す為に産まれてきたのだろうか 【瀬上一憲】    

2017.05/31

 

おはようございます。

水曜日です。

青森のせのうえです。

 

五月最後の日となりました。

明日からは、六月ですね。

 

そうそう、先週26日の金曜日でしたが、

世間様ではプレミアムフライデーだったんだそうですね。

(´・ω・`)

 

本当に気付かないまま、土曜日を迎えました。

 

自営業でも取り入れる人は

おるのかも知らんですけれど、

何処の国の新制度って感じがします。

 

 

私は、仕事の傍ら、地元中学の剣道部のコーチをしています。

といって、学生時代に華やかな活躍をしたわけでもなく、

高校卒業後、約30年を経て後、改めて竹刀を握ることとなろうとは

思いもしなかった私です。

 

世の中のコーチや監督という人たちの大部分は、

大学でも剣道をやり、その後も竹刀を握り続け今に至るという人が

大勢いる中で、お鉢が回ってきたというのが真相な私です。

 

自分の人生は、サラリーマンで終わるのだろう。

ずっとそう思って生きてきました。

 

普通の事務職でした。

 

剣道とも全く縁のない生活でした。

 

でも、それが殆どかと。

 

でも、田舎にユーターンしてきて、

整体を生業とさせていただきながら、

地元ボランティアの一環でコーチを

させてもらうということを体験させてもらっていると、

 

今までの自分の人生というのは

一体なんだったのかと思うことが多々あります。

 

全く違う生活ですから。

 

仕事もそうですが、

子供たちに接することでも日々学ぶことだらけです。

 

うまく言えませんが、

気構えとして、絶対治してやるとか、

強くするという気持ちがなくてはいけません。

 

でも、それは、患者さんを「治している」、

子供たちに「教えている」という意識でいると、

とんでもない勘違いとなります。

 

患者さんを通じて日々自分の手技の勉強させていただいている、

子供たちを通じて自分の心の弱さ、真剣に取り組むということの

大切さを教えてもらっていることに気づかされます。

 

人との出会い、本との出会い、そして、映画との出会い、等々。

それらはすべて偶然ではありません。

 

必然です。

 

出会うべくして出会い、その後の人生を左右します。

偶然、愚直に指導者として生き抜いた一人の先生に関する動画を発見しました。

 

「だいこんに花が咲いた」

https://www.youtube.com/watch?v=FB4y3cY59oo

 

この指導者は、50歳、

そこそこで夭逝してしまいます。

でも、この先生が指導された多くの生徒たちは、

その後いろいろな場で活躍されています。

 

何をしたのかでなく、

何を残したのかで人生の価値というものは決まる。

生きるということに無為ではいられません。