あの日の写真【可愛京子】

2020.11/09

「浅田家」という映画が公開中です。
まだ見ていませんし、内容も良く知りません。
が、盛んに宣伝されているので
何やら素敵な作品のように思えます。

 

私も東日本大震災では
岩手県釜石市に何度となく
ボランティアに行き、
1日だけ写真洗浄の作業をしました。

 

まだ仮設住宅も十分に建っておらず
廃墟同然になっている学校の校舎で
とりつかれたように
写真洗浄に没頭する一人の地元男性がいました。

 

彼はその学校で寝泊まりをする生活をし
ひたすら写真洗浄をしている所へ
毎日、入れ替わり立ち代わり
私達ボランティアが来るので
全ての作業手順や並べ方などの
指示をするリーダー的存在になっていました。

 

地元の人には交わらず
距離のある生活の中で
彼が行いたい復興作業が
写真洗浄だったのかもしれません。
作業は困難を極め
泥と海水でふやけきったアルバムから
一枚一枚写真を取り出し
(その時点で写っている絵柄が崩れ落ちます)
運よく取り出せても
水で洗うとまた崩れていきます。
一番大切にしないといけなかったのは
写っている家族と家屋、記念の行事と街並み
これらの関係性と、時間の流れでした。

 

それらの関連性がつながるように
洗った後、整理して、並べ、乾かし
もう一度アルバムに作り直します。

 

気の遠くなるような作業です。
当時マスコミから聞こえてきたのは、
支援してくれている海外の方ですら
「日本人はそこまで(そんなことまで)やるのか?!」
「もっと先にやるべきことがあるはず」
「そんなことに執着していると次に進めない原因になる」
と言っている。等々でした。

 

ボランティアをしていても
写真の山を見るだけで愕然とするというのに
何だか、地元の人達の、前向きになる方向性に
水を差しているような
精神的にも二重に辛い作業でした。

 

けれども、時間が流れ、アルバムが公開され
持ち主の家族がアルバムを見つけた時、
喜びに涙され、この作業の価値が証明されました。

 

そして9年経った今、
「映画」という新たな価値に
生まれ変わってきました。

 

その日、その時、その瞬間だけでは
無意味に思え、むしろ逆行しているような
出来事や結果、行動であっても
「隣にいる人が喜ぶかもしれない。
安心するかもしれない。」と感じて
手を差しのべるなら
何かしらの新しい命の芽を出します。

 

きっと、とりつかれたように
皆に指示していたあの男性は
種をまいていたのですから
新しい命の芽の成長を確信し、
次なる種をまいているに違いありません。