「信じる」ということは?【東野奈穂子】

2021.03/25

金曜日担当の東野奈穂子です

 

 

少し前のことになりますが

女優の芦田愛菜ちゃんが

映画の完成報告のイベントで

「信じる」ということは?

という質問に答えたお話が

とても興味深かったので

こちらでシェアします

 

 

芦田愛菜ちゃんは

ここから抜粋↓

【その人のことを信じようと思います】

っていう言葉って

結構使うと思うんですけど

「それがどういう意味なんだろう」

って考えた時に

その人自身を信じているのではなくて、

 
【自分が理想とする、その人の人

物像みたいなものに期待してしまっていること

なのかな】と感じて

だからこそ人は、「裏切られた」とか

 

 

「期待していたのに」とか言うけれど

別にそれは、「その人が裏切った」

とかいうわけではなくて

 

 

「その人の見えなかった部分が

見えただけ」であって

その見えなかった部分が見えた時に

 

 

「それもその人なんだ」と受け止められる

「揺るぎない自分がいる」というのが

「信じられることなのかな」

って思ったんですけど

でも、その揺るぎない自分の軸を持つのは

すごく難しいじゃないですか?

 

 

だからこそ人は

「信じる」って口に出して

不安な自分がいるからこそ

成功した自分だったりとか

理想の人物像だったりに

すがりたいんじゃないかと思いました

 

 

(ここまで)

このお話を聞いた時

わずか16歳(娘と同じ年)で

この思考に行きついていることに

驚きを隠せませんでした

 

 

言われてみればそうだ・・・

正論だなと頷けもする

しかし、大人になるに連れて

往々にして、人との繋がりは

いい意味、悪い意味でも

損得勘定で動いてしまう面があり

 

 

「信じる」ということが

自分勝手であってはいけないけれど

「それもその人なんだ」と思えたとしても

その後、信じて繋がっていけるかは

また別のお話という考えの人も多くて・・・

 

 

勿論、私も含め

「信じる」という

揺るぎない軸を手に入れたとしても

「信じ続ける」という軸を持つのは

さらにとても難しいことだと思うんです

 

 

そうやって突き詰めていくと

「信じる」って深すぎて

熱が出そうになります(笑)

 

 

でも、愛菜ちゃんの考えで行動すれば

腹を立てたり、悲しんだりすることが

格段に減ると思うので

そういうピュアな心持ちを

取り戻さないとなーと感じました(^^;

本日も最後まで読んでいただき

ありがとうございました