知恵の泉【可愛京子】

2020.05/26

ここ数週間というもの
暇でなくてはできない事を
丁寧に行ってきました。

 
今までの生活と同じように
起床→食事→外出・仕事 であってもなくても
身だしなみ一つにしても
誰かに会うわけでも、外出するわけでもなくとも
キチンと整えます。

 

なぜ?何のために?

 
これこそが
忙しい時の方が気楽
暇は罪悪とまで思っているような
意識の落とし穴に気づかせてくれます。

 

 

真剣に遊ぶ事と働く事も同じで
暇を創るのと
暇をつぶすのとでは
雲泥の差。

 

 

ここ数週間の厳しい社会情勢を利用して
「チャンスに変える」云々など
甘い言葉が横行しているのですけれど・・
再度、自分に問います。

 

 

なぜ?何のために?

 

 

例えば、医療に関わる人には
あたり前かもしれませんが
肉体と心は表裏一体と
ひと昔前では2元的なとらえ方でしたが
肉体の自律神経の裏にある
見えない経絡の働きがあり
心のほうにも
表に見える気持ちや感情、性格のほかに
見えない意識の領域の働きがあります。

 

 

 

この重層構造を深く見つめれば
ついさっきまで流れてきていた
「チャンス」の意味も違ってきます。

 
この「なぜ?何のために?」を
自問自答し、行きつくものを追及してみて下さい。

 
妥協や甘えのご都合主義を排除して。

 

 

科学が進歩し、知識を得て
世間の生活レベルは高くなり
ハイテクリモートハウスや
グローバル社会を迎え
単層的だけとも言える幸福に
ただただ突進してきていました。

 
核爆弾やバイオテクノロジー
人工授精も人間が作りだしたのだけれども
科学が進歩しただけで
人間が進歩したわけではないでしょう。

 
したと思えるのなら、それはただの自己満足。
自分が作ったものを、往々にして
コントロール出来ていないのですから。

 

 

私の見識が狭いのかもしれませんが、
何百年にも至る事の出来る
美術、建築、音楽、文学作品を
創る人間を、今は見当たりません。

 

ひとりひとりの「なぜ?何のために?」が
キチンと突き詰められるなら
知識だけでは、はかり知る事も出来ない
見ることも出来ない、知恵の結晶のような
そんなものが復活してゆけるチャンスが
与えられているように思えてなりません。

 
魂の猛省の苦しみを経て
自分が作ったものを
コントロールできる自信と
自己満足との違いがハッキリできれば
知恵の泉の重層の中にある
真の好機がやって来るのではないでしょうか。