Grief Education の必要性【可愛京子】

2020.05/19

新型コロナウイルス感染症のニュースが
途切れることなく流れ
「今日の死亡者は○○人となりました」という事実が
報告され続ける毎日・・

 
今も忘れることの無い大切な人との
別れの瞬間を思い出す。
病気療養中には看護と介護、回復を祈る日々。

 

その甲斐もなく、遠まわしに宣言されていた通り
急な死を迎えた・・その瞬間から
「冥福」のために祈りを切り替える。

 

数分前までは全身全霊で
「回復」を祈っていたのに・・である。

 

コレがダメならアレをとも言うような
自分のご都合のよさに後ろめたさすら感じてしまう。

 

神の存在を強く意識しているからこそ
感じてしまうこのギャップ・・

 

大切な人は死んでしまった
「神なんて何だ!・神も仏もあるものか!」と
神を憎める方が、はるかに楽とも言える。

 

ましてやこの新型コロナのご時世の
ニュースに流れる死亡者の数だけ
(見舞いも、看病も、見送りもできないまま
箱だけが戻ってくる)
ギャップも怒りすら感じる事もできない空虚。

 

こんな時、いつも私の中で
思いをはせる2つの事がある。

 
一つは、
人は生まれるまでの間、母の胎内では
真っ暗で、水の中で息をしているが
外に出たとたんに「オギャー」と
肺呼吸をした瞬間は苦しかったはず・・
水中の人生が終わり、外の人生に移る。
人は生まれる前にすでに一度死んでいる。

 

外の人生が終わるときも
「苦しみ」の通過儀礼があり
次の世界の人生に移るというイメージ。

 

もう一つは
ある写真展を見た時の事を思い出す。

 
写真家があらかじめ
何らかの形で死が迫っている人々に
許可を得て、生存中と亡くなった直後に撮影をし
その両方の写真を並べて展示していた。

 

それは驚くべき目に見える事実で
老人から赤ちゃんまで
全ての人が、亡くなった直後の顔の方が
明らかに平和で、幸せそうで、穏やかな事。

 

もちろん、私は次なる世界は
見たことも体験したこともないけれど
様々な臨死体験者の話によると
その世界は「光に包まれた、あたたかさがあり
深い悦びが伴う」という。

 
毎日流れる死者の数の分だけ
それを受け止める側の人々がいる事を想い
自分自身のためにも、次なる世界への
しっかりとした意識の心がけを
グリーフ・エディケーションを
少しずつ実践しておきましょう。